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2013年9月10日火曜日

韓国の大統領専用慰安所

日本軍慰安婦について批判の多い韓国ですが、韓国軍にも朝鮮戦争の際には慰安所が存在し、ベトナム戦争では「国際演芸人」が韓国から派遣されて慰安婦の役割をさせられていたようです。また朴正煕大統領専用の慰安所ともいうべき施設もありました。


ソウル市鍾路区の宮井洞にあった「安家」(「安全家屋」の略)と呼ばる大統領府別館の「ナ(나)棟」がそれで、レンガ造りの建物の2階には宴会場のほかにベットルームなどもあり、芸能人らが大統領の「夜の接待」をさせられていたそうです。

上のキャプチャーは、MBCのドキュメンタリー番組「今は話せる『10・26宮井洞の人々』」にでてきた「ナ棟」内部の模型です。左端やや下に少し見えるのがベッドルームでその右上が宴会場です。

こういったことは公にはされていなかったものの、1979年にその「安家」の宴会場で金載圭KCIA部長が朴大統領を射殺したことにより、期せずして広く知れわたることとなりました。

朴大統領らは当時、金部長ら側近と「大行事」と呼ばれる宴会を月2回程度おこなっていたそうです。また朴大統領が気に入った女性を選んで楽しむ「小行事」も月8回ほどあったとか。

その「大行事」や「小行事」のための女性を調達していたのが、KCIAの朴善浩儀典課長だったそうです。朴課長は朴大統領暗殺事件以降、マスコミから採紅使(チェホンサ=채홍사)の役割をしていたといわれていました。韓国で採紅使は、朝鮮時代の暴君である燕山君に美女や駿馬を探して届ける下級官吏として知られています。

「10・26は今も生きている」の著者で、金部長の弁護を引き受けた安東壱弁護士は、月刊誌「新東亜」(2005年12月号)のインタビューに対し、朴大統領の相手をさせられた女性は芸能人が最も多く、200人を越えていたと答えています。

芸能人は、朴大統領が映画やテレビで見て気に入り「一度会いたい」と指名されると断ることができず、映画やテレビ番組の収録に支障をきたしたことも度々あったという話もあります。

また朴大統領が健康診断を受けていた軍病院の女性看護将校も、宮井洞の安家に招かれたのちに、「自らに課せられた任務が何であるかを知り」、「そこであったことは墓に入るまで秘密を保持しなければならない」という脅迫を受けたそうです。

朴大統領暗殺事件をテーマにした映画「ユゴ 大統領有故」は、登場人物のキャラクターやセリフなどはフィクションだそうですが、前出の安弁護士によると、娘が朴大統領の慰み者になったことを知った芸能人の母がKCIAにクレームをつける場面は実際にあったことだといいます。

ただし、クレームの内容は、この芸能人が当時男やもめだった朴大統領に気に入られようと自分を再度宴席に呼ぶよう要求したにもかかわらず、KCIAが拒否したことに対するものだったと朴課長の前任者らは証言しているようです。この芸能人は、ファーストレディーの席を狙っていたのだとか。

朴大統領暗殺事件の現場となった宮井洞の安家「ナ棟」は、文民政権を標榜する金泳三大統領の指示によって取り壊され、現在では「ムクゲの丘」公園になっています。