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2013年11月3日日曜日

尹貞玉氏の作り話



報道によると、光州地裁は1日、戦時中に朝鮮から女子勤労挺身隊として日本に動員された韓国人女性らが三菱重工業に損害賠償を求めていた裁判で、被告が原告に対し、6億8千万ウォンの支払いを命じる判決を下したとのことです。

韓国の裁判所が、日本に対する戦後補償の訴訟で賠償を命じる判決を下したのは、これで3件目となったようです。

三菱重工業は日韓協定で請求権問題は解決済みと主張。すみやかに控訴する手続きに入ると明らかにしているとか。

日本の立場からすれば、日韓協定で韓国政府が自国民に補償をおこなわなかったことが請求権問題をこじらせている原因であって、問題の主体が韓国政府にあることを無視した韓国司法の判断は不思議でならないでしょう。

女子勤労挺身隊の場合、いわゆる日本軍慰安婦と違って、訴えを起している女性が日本に動員されたという事実関係の裏づけはとれているようです。

しかし、関連する事項についていうと、Wikipediaには

韓国で挺身隊=慰安婦という認識は戦時中からあったようで尹貞玉(1925年生)も1943年度中に退学して「挺身隊行き」を逃れている。
とあるものの、尹貞玉挺身隊対策協議会共同代表の通った女子専門学校の同窓生からは事実ではないと反論があったようです。

反論の内容というのは、自分たちの学校は戦時中に青年錬成指導員の養成所になったのであって、尹共同代表が慰安婦問題を提起しはじめたころに吹聴していた、女子専門学校の学生が挺身隊に取られるといった情況にはなかったというものです。

この件に関して、尹共同代表は月刊「論座」(1997年12月号:尹貞玉著「平和を希求して」に収録)において、女子専門学校が「地方指導員養成所」になったことについて言及。自身の体験談と同窓生の反論とのあいだに、矛盾がないかのような話にしようとしていました。

また尹共同代表は、歴史家の秦郁彦氏に対して、彼女の通っていた女子専門学校からは挺身隊として連行された人はひとりもいなかったとも話しているそうです(秦郁彦著「慰安婦と戦場の性」による)。

尹共同代表は、日本軍慰安婦問題を提起する理由として、自身も挺身隊=慰安婦として連行されていたかもしれない、あるいはそれを逃れたひとりとして、上記の引用にあるようなことを述べていたようですが、この部分に関しては、彼女の作り話だったということのようです。

尹共同代表といえば、1997年にアジア女性基金から「償い金」を受け取った元慰安婦の金田君子(日本名、2007年死去)さんの本名を韓国の新聞でさらし、批判したことがありました。

被害者を支援者する立場の人間が被害者を非難するというのもおかしいことなのですが、社会問題に寄生することを生業や生きがいにしている人たちにとっては、思うようにならない被害者がいることや慰安婦問題自体が解決してしまうことは、自分たちにとって都合が悪いのでしょう。

それにしても、被害者の本名を新聞でさらしたり、テレビで個人情報の書かれている書類を映すようなことが許されるとは思えません。


上は1997年3月に放送されたSBSの「158人の証言」という三一節(三・一独立運動を記念する日)の特別番組のキャプチャーです。尹共同代表や田麗玉氏らが出演した慰安婦支援のための番組でしたが、前年に亡くなった文玉珠さんの書類を意味なく映したあとに、アジア女性基金の「償い金」を受け取った金田さんの書類も映していました。録画したテープを再生し、ポーズで一時停止させると、住民登録番号や本名・本籍・住所などの個人情報がハッキリとわかるようになっています。

これはもう社会的リンチといっても過言ではないと思います。